何をするにも愛な人

2043今夜も少し「チャイターニャ・バーガヴァタ」を読んでいたら、
若くして学校の先生になったチャイターニャと生徒たちのやりとりが書いてありました。

どんな文法や言葉の説明も、どうしてもクリシュナの物語になってしまい、
教科書のページはぜんぜん進まなくなってしまいます。

最初は困った生徒たちも、チャイターニャについていくと言うのですが、
チャイターニャは自分はクリシュナのこと以外は何も口から出てこないからと、
辞職してしまいます。

(´・з・`)ノ-=≡☆-=≡☆-=≡☆-=≡☆-=≡☆-=≡☆-=≡☆-=≡☆-=≡☆

チャイターニャは、16世紀の聖者で、クリシュナの生まれ変わりと言われています。
「ハレークリシュナ」と唱えるマントラを広めて、バクティヨガを教えました。

ヨーロッパの学者が調べたことと、インドで信じられていることは違います。
私は両方とも真実があると思います。

クリシュナは大切な彼女のラーダーの気持ちが知りたくて、
ラーダーの心をもつチャイターニャとして生まれ変わったそうです。

この世界そのものである神様が人の形をとるとしたら、
自分は満ち足りているので、気に掛けるのは自分以外の存在です。
チャイターニャのように、自分とは逆の立場を体験するために奉仕者として現れるなんて、
日本にも世界にも似たような物語がたくさんあります。
(チャイターニャは生涯、奉仕者の立場ですが。)

チャイターニャの言動には、どこか人の心を打つものがあります。

でも、彼の存在はユニークで、ぜったいに真似できないもので、
それと同時に、私たち一般の魂も、ひとりひとりがユニークな存在です。

インドと日本では事情も大きく違います。
でも共通しているのは、「愛の表現」ではないでしょうか。

それはピアノの音かもしれない、
私のようにただ働いておいしいものを食べるだけかもしれない、
でもどこにいて、何をしていても、
全身で愛を感じて、愛を発することはできます。

もしこの世界が1つなら、私たちの話すことの本質が1つだとしても、
不思議じゃないんじゃないでしょうか。

日々のしがらみに追われる中、「チャイターニャ・バーガヴァタ」に癒されました。
聖地ナバディープにいる感覚が思い出されます。
バクティヨガを一言でいえば、「何をするにも愛」って感じです。