「牛たちの主人」を翻訳して

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10月にゴーヴァルダン祭に行こうと決め、改めて翻訳を見直しました。

7才だか11才の玖里春くんが、実は至高主であるはずなのに、
ある日、自己主張をしたいと思い、村の伝統に反抗する。

親バカな玖里春のパパは村長でもあり、古くからの伝統行事を廃止する。
牛を飼って生計を立てている、たいへん貧しい遊牧民の村なのに、
この行動がインドラ神を激怒させ、天変地異の大災害が起こってしまう。

村のみんなが玖里春に助けを求め、そこで玖里春は「しめしめ」と微笑んで、
ここぞとばかり、村中の人や動物たちを助けて、インドラ神をこらしめてしまう。

そんなお話が、5千年前に実際に起こったと信じられ、
その時、玖里春が始めたゴーヴァルダン祭が今も毎年祝われている。
そればかりか、ゴーヴァルダンの丘では石ころ1つ1つが
あらゆる存在の至高主の化身として、崇め祭られている。

私はこの物語はものすごく面白いと思うし、
実際にその地を訪れたとき、石を信仰している様子がとても信じられないほどだった。
その上、この文章にあるシュリーダル・マハラージの説明が興味深い。

さまざまな物質的習慣や心理的な衝動が、いつ私たちに襲いかかるか分からない。自然界のあらゆる運動を司る天上の王、インドラさえ、私たちに襲いかかってくるかもしれない。しかし、真の目的について常に考え、玖里春の忠告を読みとろうと気を付けていれば、ゴーヴァルダンの丘の下、インドラさえ手が届かない場所で、玖里春がしっかり護ってくださる。玖里春が私たちを護ることを心から信じ、ゴーヴァルダンの丘に救いを求め、祈ろう。「玖里春よ、私が普段のあらゆる義務を捨て、そのために多くの困難に見舞われたとしても、どうか私を護ってください。」

私も、誰もかも、いろんな立場があり、義務があって、日々やるべきことに追われている。
でもそれは、永遠には続かない。
別に出家などしなくても、いつかは必ず自分の背負ってきた義務を全て捨てなくてはいけない。

たとえば、災害が起こるかもしれない。
持ち物も、家族も、仕事も、すべて失うかもしれない。
そんなときに、玖里春が必ず助けてくれる、と信じられる人はいるだろうか?

そんなときにこそ「僕に頼ってよ!」と、玖里春はこの物語で自己主張したかったのではないだろうか?
災害の多い今こそ、世界中にメッセージを届けたい、と思っているのかもしれない。