どこまでもどこまでも ~To No Limit~

Untitled (4)「今この瞬間、そして次の瞬間にも、すべてを一新させて見せてくれる。

だから、絶対的世界、遊びの世界にすむ最高権威者に近づくときは

こころを大きく開いていなければならない。

ということは、どこまでもどこまでも、こころを託すことだ。」

私の尊敬する哲学者、シュリーダル・マハラジの本、
バクティヨーガ~探求と献愛の哲学~」は、やっぱりすごい本!!
読むたびに目から鱗がこぼれ落ちる。

ぜんぜんできていないようだけど、私の人生はバクティヨーガと出会って大きく変わっている。
鱗の層が何枚も何枚もはがれて、ちょっとずつ目が見えるようになってる。
進んでは戻り、進んでは戻り、とくに終わりはない道のりだけど、
もしバクティヨーガの先生と出会わなかったら、私はただ宇宙にただよって泣いてばかりいただろうな。

最近ちょっとだけ、喜びを感じて生きるのがどういうことか分かった気がする。
勇気を出して、正面切って向き合って、手を放す感じ。
その手を放す心地よさが、生きている喜びかなぁ。
それは欲しいものを手に入れる喜びとは全く違う。
もうそんな「喜び」は重要じゃなくなってしまうほど、純粋な喜びがあった。

Surrenderという言葉を、人真似して「全託」と訳してきたけど、
今回はこころを託すとしてみた。
私にとって、そんな感じかなーという適当な訳だけど、いいかもしれない。

この世界はいろんな見方で見れる。世界は実は自分の一部なのかもしれない。
同時に自分は世界の一部であるように。
一部なんだから、とうぜん不完全なわけで、ちっちゃいパーツがいっぱい機能しあっているイメージ。
いろんな人がいるけど、どれも自分の知られざる一面かもしれない。

絶対的世界(⇔相対的世界)は、遊びの世界だ。
子どもと遊んでいると、ちょっとその感覚を思い出してくる。
次の瞬間、何が起こるかわからない。
言われることは不合理なことばかり。いじめに近い。
そこには何のためらいもない。
お金の観念もないし、あるとしてもすべては遊びだ。

どこまでもどこまでも、自分自身であること。恐れないこと。
そして遊びについていくためには、いっしょうけんめい遊ばなくちゃいけない
すべての知恵と力を出し切らないと楽しくない。
それが手を放す感じ、こころを託す感じに繋がっている。