宗教が理解できないたった1つの理由

1235046_10152936419102240_277264376777725099_n

「宗教って何なの?」という疑問はいつも持っていた。
身近な神社やお寺、キリスト教、インド。。。
家族に信心深さのある人がゼロだったこともあり、「いったい何なんだろう」という感じがしていた。


留学中にすごく行き詰まりを感じて、それを突破するのに道がないかと思っていたとき、
「自分にとって未知なもの」を解明してみよう、という意欲が生まれた。
それでたまたま一人でロンドンをうろうろしていたらインド人に出会ったので、
いろいろ質問して、本をもらって読んだり、ハレークリシュナのお寺に通って話を聞いたりした。

それをきっかけに本当にいろんな人に出会い、さまざまな話を聞けた。本もたくさん読んだ。

ここでまた悪い例としてルパさんのケースをあげると(笑)、
ルパさんも聖書やイスラム教のコーランを読んだそうで、
書いてあることは全部でたらめで、誰かが勝手に作り上げたもので、めちゃめちゃなことしか書いてない、と言う。

膨大な量の経典を一人で一気に読んでも、何も理解できなくて当然だ。
そんなに簡単に理解できるものなら、みんな聖者になっている。

私の亡くなった先生の先生、シュリーダル・マハラジが言うには、
宗教は経典の中にあるわけではない。
ある特定の言語で表現されているのでもない。
特定の言語の特定の本に教えが書いてあるのではなく、
宗教というのは、心から心へと伝わっていくもの。
いわば超越的な言語によって伝えられる。

宗教は、言語を超えて、心で理解するものなのだ。

私はルパさんが宗教を批判する気持ちもわかる。
彼なりに考えがあっての発言だからだ。
そういう私も、○○教と名前があるいわゆる「宗教」はすべて時代遅れだと思っている。
それでも宗教的なものだからと言って、頭から否定するのは、その人にとってもったいない。

今でも宗教的な規則をしっかり守って生活している人は非常に多い。
私の先生も、規則は自然な形で従うのがいいと言う。
その規則の背景にある教えや考え方が好きで、尊敬しているから、
愛情や喜びをもって規則を守る。それはその人にとって一番自然なことなのだ。

精神的な「愛」というのを、人生でほんの一瞬でも自分の心に感じる機会が訪れたら、
なぜ宗教的な人たちが自分たちの宗教を愛して誇りをもっているかが、よくわかるはずだ。