横並びではない考え方

Untitled (11)-

20歳のころからイギリスとインドの文化に触れてきて、
自分なりにすごく楽になったことがけっこうある。

「人は平等ではない」という考え方はその一つだ。
もっと正確に言うと、「人はそれぞれの成長段階にいる」。

私は「とにかく親の言うことを聞きなさい」と言われて育ってきたので、
権威を振りかざす人や、逆に権威を気にしてばかりいる人が苦手だ。

親子の問題はまた別で難しいけど、
ヒエラルキーは権威ではなくて、人が持つクオリティにあると思う。

人をみんな横並びで考えてきた日本の学校教育のあとで、
イギリスとインドという階級意識の残る社会で生活してみると
「あれ?」と思うこともあるけど、実は楽に感じる部分も大きい。

人単位で考えると勝手にジャッジすることになってしまうけど、
性質(クオリティ)単位で考えると、上と下がはっきりする。
つまりピンポイントで、この人のこういうところは低い性質だから、
どれだけ他の部分が優れていても、そこの部分だけは真似しないでおこう、とか。笑

こうして書くと当たり前のことのようだけど、
性質の高さ・低さを明確に判断できることは大切、としみじみ思う。

私はもともと疑り深い性格で「これは怪しいんじゃないか」と
不信感を抱いて近づかないことが多かったけど、
逆に「信頼していた人に裏切られる」という経験もした。

人単位とか、組織単位、宗教単位、家族単位、○○派単位、
などなどで良し悪しをジャッジしていては駄目だな~とつくづく思う。

先入観による不信感も、頼りっぱなしの信頼感も、
どっちもblind faith(盲目的な思い込み)で、危険だ。
どちらも日々、人からたくさんの機会を奪っている。

話を戻すと、インド哲学ではクオリティのことを「グナ」といって、
サットヴァ・ラジャス・タマスの3つのグナ(性質)については、
少しでもヨガやアユルヴェーダに興味のある人なら知るところだ。

この3性質という基本は、あらゆることに応用が効いて、
インド嫌いなルパさんでも知っているくらいなので、広く使えると思う。

そして最初にヒエラルキーと書いたけど、
究極には実はヒエラルキーではなくて、良し悪しでもないのだけど、
とりあえずヒエラルキーにして上下を決めるのは便利で分かりやすい。

ただし、それが全てと思うと権威主義のようになってしまうので、
優劣をつけるのは、単なる「仮の話」ぐらいに思って
たまに逆転させてみたりしたら面白いかも。

(図はいい加減だけど、自分の中のヒエラルキー。)